2006年02月28日

読書の流動性について

昔読んだ本を読み返していると、まったく違った読み方あるいは、意味のとり方をしていることに気が付くことがある。書かれている物語は変化せず、そこに半永久的に在るはずものなのに、読み手はこんなに不確かで危うい存在なのだと知る。そしておそらく筆者も、少なからずとも、なぜあの時あのようなものを書いたのか、と思いに沈むこともあるのだろう。では、書物はいったいどこに所属するものなんだろうか、時代でもなく、読者にでもなく、きっと筆者ですらない。だれかがゆっていたな、本は筆者が書いて印刷された瞬間からもはやその人の所有物ではないのだと。時代でないのは確かなことだ。たとえ、その物語はそのご時勢を大いに反映して書かれたものであっても、そこからどのように意味を汲み取るかなんて、まったく自由だし、あいまいなのだ。ぐるぐるぐるぐる、時代によって、読み手によって、天気によって、その日の運勢によって(例えばそれがあるのだとすれば)、変化して古くなり、新しくなっていく。すくなくとも私にとってはそういうものだ。

だから本というのは所有したくなるし、買いたくなる。ずっと手元においておきたくなる。だからあえて、というか、十分に本に使いたいだけお金が使えないときは、新刊は買わずに読んでみる。気に入ったら買う。自分にとって大事なものだけを、響いてきたものだけを取っておきたいと思うようにある。小説だけではないなあ。料理本だって、いやっていうくらい中身を吟味してから買う。わくわくして新しいものが出たから飛び込むという勇気はあんまり出ない。そういう本との出逢い方もさぞかし素敵だろうと思うけれど、今はまだ出来ない気がする。しかし、自分にとって大事なものだけ、というのもなんだか傲慢な言い方かもしれないな。私は当然プロフェッショナルな本の解釈の仕方や読み方というものも身につけてはいないし、今後もそのようなプランはないから。でも、必ずしもそんなんじゃなくても、私みたいにすごく受身で、「この感じ好きだー」とか、「うーんいまいちよく分からなかったなあ」っていうシロウトな読者も無視されないことを願いたいものだ。

だから、何かしらの理由で本を捨てなくてはならなくなると、それはそれは切ない思いがする。特に今後悔してもしきれないのが、ずっと大好きで読み続けた絵本たち。はじめの引越しの際、捨てなくてはいけなかった。もちろん捨てなくてはいけない理由など微塵も存在しなかったのだが、やっぱりもう読まないし(とそのときは本当に愚か者だがそう思った)、何かと場所をとって部屋も狭くなるし、などというしょうもない理由だったと思う。とにかく、まったく気に留めなかったということだ。しかし、今になって、それが自分が実際に自分の子どもを持てるというまったく驚くべき年齢になったからという理由からだけでなく、今でも自分のなかに残っているもの、輝いていたストーリーやキャラクターが生き続けているということにようやく気がついて、そう思うのだ。しかし後悔は先にたたない。未来に向かって、自分のために、大切にしていた絵本たちをまたちょっとずつ集めていこうと思う。そして、それが将来自分ではない、誰かのために、自分の大切な誰かのために役立つ日がきたら、どんなに素敵なことだろうと思う。
posted by sleepyhead at 23:02| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | thoughts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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